髭剃り界隈のお話
久しぶりの投稿になってしまいました。PCのある一人暮らしの家から離れていたので、書けなかったんです。あんまり携帯で文章を考えて打つっていうのが得意じゃないので、もう少し何か手を考える必要がありそう。
今回はヒゲのお話。
実は私、ここ1年くらいヒゲを生やしていまして、鼻の下の髭は上唇との境で揃えて、下顎の髭はちょいヤギって感じだったんですよ。でも先日、意を決して断髭式を行いました(理由等はまた後日書く機会があると思います)。
結果を言うと、まあしっかり全剃りしたんですが、1時間くらいかかってしまいました……。
まずリビングで工作用の鋏を使ってジャキジャキ切ったんですけど、髭には髪の毛ほど気を遣った手入れをしていなかったせいかすごく固くて切りにくかった。
さらに髭が散らからないよう気にしながらだったことと、それに加えてちょっとした躊躇いや感傷の浸りもあってその時点で20分かかってた。手際の悪い男。思い切りの悪い男。
誰がしても汚くなるような無精髭のようなものが出来上がったところでお風呂場に行ってお湯で髭を濡らして剃りやすくする。シェービングフォームをつけていざ五枚刃。
しっかり深剃りつるつる肌だ!と思い切ったはいいものの、まだ剃れなかった。髭を剃刀(五枚刃)で剃るにはまだ長すぎたのだ……。
冷静に考えれば産まれてこの方、図工だの美術だの技術だの、そういう手を使った作業を要する教科で平均を超えたことがないのに、どうして工作用鋏で髭をうまく切ることができよう。
その後眉毛などをカットする用の小さい鋏でギリギリまで髭を短くして40分。残りの20分でしっかり五枚刃が仕上げてくれました。
髭を剃るタイミングが本当に急に思い付いた深夜だったこともあって、途中からダレるし眠たくなるしで失敗した段階で不貞寝してやろうかと思った。けど翌朝またこの汚い顔と対峙するのは避けたかったのでなんとかかんとかその日のうちに片付けられた。
けど今回のことは、ちゃんと学んで活かさないとね。
まとめ
・思いつきで行動しない
・顔の毛のことは顔用の鋏で解決する
・自分の技量の無さを軽視しない
・五枚刃は偉大
それでは。
春が来ます。
私は春が苦手。
主に鼻が春を拒んでいる。うん、花粉症。
スギ花粉に滅法弱いこの身体。スギ花粉は年度末ギリギリまで猛威を振るう短期型で、しっかり私は犠牲になる。ここ数年はヒノキ花粉にも反応し始めているようで、4月いっぱい、下手したらGW明けくらいまでだらだら症状が続く年もある。
花粉症には小学生の頃からしっかりもう20年弱罹患していて、対応は慣れたものではあるけれども、苦手なものは苦手。
だってマスクは息苦しいし、一度鼻が詰まれば頭はぼーっとして働かない。そして止め処ない鼻水がいつ襲いかかってくるかわからない。なんなら喉まで痒い。
決して気の早いことではなくて、天気予報にはもう花粉予報がつき始めたし、すこーし目も痒い気がする(単なる他のアレルギーかもしれない。部屋は汚い。)
鼻だけじゃなくて、体全部が拒否したいのが"春の陽気"。基本的に晩春レベルの暑さから耐性がないのだけれど、「これから夏がやってきますよ~」っていう気配がそもそも暑苦しい。
夏はまだいい。全然よくないけど、何か食べさせておけば黙るタイプの人間としては鱧も岩魚も西瓜もかき氷も待ってる。ビアガーデンもいい。なんて美味しい夏。咀嚼して堪能してる間だけは許せる夏。
けど正直春は目当てにできる好物が見当たらない。
ざっと検索してみたけど筍くらい。苺は大好きだけど今時冬に美味しく食べられてしまうし、しいて言うなら茶くらい。若緑の新茶は大好き。でもそろそろ夏の様相。
2回目にしてネガティブなブログだけど、書いたり調べたりする間に今年こそは何か素敵なことが浮かんでくるかなあと思って、書いてみた。そうしたらそんなことない。悲しい。
季節は毎年やってきて、何を言っても仕方ないということで。残念。来年春を迎えるころには、楽しみに春を待って、後腐れなくさよならしたいな。
だからヒノキ花粉さん、どうか私の鼻を悩ませないでください……。
"あいさつ代わり"は好きじゃない
はじめまして、はじめました。ブログ。
挨拶って結構簡単。すれ違いざまの3秒であれば「こんにちは」はなんてことないし、これから大事な面接をってときにはとにかく元気な「よろしくお願いいたします!」であればいい。運動会は「今日はお日柄もよく~」から始めればなんかそれっぽくて、ちゃんと状況に応じて用意されている。暗黙のテンプレートが。
挨拶って結構難しい。文章を書くということも読むということも一瞬ではなくて、反射にはできない。さらに労力が必要になったりもする。その分適当では済まないし、お互いに勿体ないことはしたくない。けれどもこういうことを始めるのに大きな理由はなかったし、なんとなくじわりじわりとその気になったから、そこにはストーリーも突拍子もないのだから、救われない。
もしかしたらブログの挨拶にもテンプレートがあるのかもしれないけれど、それを知らない者の特権として、自由に書こうと思います。
私はいま、これからのことについて迷っています。
迷う只中に今、居るということを、現在と未来の自分が認識できることを目的として、私と外との照らし合わせの結果がこれであるということを書いていけたらいいなあなんて思っています。
なんでもないことなのだけど、迷える学生が京都と大阪を舞台にのたうち回っていることが、自分を含めた誰かにとって何かになれば嬉しいです。